Balloon'zone -B'z歌詞解釈-

B'zの曲の歌詞考察、解釈(のような物)をしております。 曲を聴いて感じるものは人それぞれ、その一つとしてとらえていただければ嬉しいです。

カテゴリ: LOOSE

8th Album『LOOSE』収録

ずいぶん更新がとだえていましたね…。事情は多々ありますが(ポケモン不思議のダンジョン)ご容赦を…。

ロックからバラードまでバラエティ豊かなアルバムのトリは、落ち着きのあるミディアムナンバーです。夕方の影を感じさせる演奏がクールですね。

その内容は、大衆に紛れることなく"自分だけの世界"の確立を目指すといったもので、最近このテーマを多く扱っている気がしますね。注目したいのはタイトルで、MY WORLDだけ大文字です。おそらくひとりひとりに「MY WORLD」は存在し、唯一無二のオリジナルであることの暗示ではないかと思います。

冒頭、まさかのセブンイレブン登場です。後述しますが、このコンビニは彼が脱却したい「ありふれた日常」を実名でよりリアルに表していると思われ、非常に秀逸な表現だと感じますね。ここからだんだん見慣れない神社へ踏み込むわけですが、これはそのまま主人公の目標でもあるわけです。知らない世界へドライヴするとはどういうことなのか?ここがこの曲の主題になってくるでしょう。

この主人公はMY WORLDを目指す過程でキミにもちょっかい出させないとのことです。キミとは親友なり恋人なり家族なり、大事な人であると思われますが、その人々にも譲れないのがMY WORLDなのです。他人に合わせていてはいつまでも自分だけの価値観を生み出すことはできない、ということでしょうか。彼が過ごしてきた悲しいだけの毎日が、何も始まらないで終わり自分がイヤで眠れない日々(『ゆるぎないものひとつ』)だとするならば、主人公が家と反対方向に向かった心境も理解できそうです。変えたいのは「いつも通り」なのです。

大衆に埋もれたくない、自分だけの世界を築きたいというのは孤独で、辛い行為のようにも思えます。しかし主人公は胸が躍血はたぎっており、興奮しているようです。『drive to MY WORLD』によって得られるものは孤独などではなく、「いつも通り」や「みんなと同じ」に縛られた自分が解放されていく喜びということでしょう。アイデンティティが確立するにつれ生きる実感が湧いてくるのです。もちろんこれは一人だけではうまくいきません。みんなでうろつくことないけど、知らん顔することもない、これはまさに『Brotherhood』と重なる部分だと思います。人それぞれ必要なときだけ干渉し合い助け合う、最終的には自力で生きるということです。

これは何も主人公に限った話ではなく我々も同じです。だれもが鍵を握りしめているとはどういうことか、おそらく誰でもMY WORLDを築けるチャンスがあるということだと思います。大衆を作り出しているのは我々、ならば我々には大衆を抜け出す力もあって然るべきです。一人ひとりが集まってできるものが「世界」ではありません。一人ひとりに「世界」は存在し、それらが重なり合ったところに人のつながりは生まれ、世界が交わり合うのです!

まとめると、「いつも通り」「みんなと同じ」でちっちゃくまとまる世界にバイバイするために、自分だけのMY WORLDを築く、というのがテーマかなと思います。

次回は『どうしても君を失いたくない』です。あぁ、また難しそうな…更新が停滞する…
閲覧ありがとうございました。次回もよろしくお願いします。

8th Album 『LOOSE』収録

『LOOSE』をNo.1アルバムに挙げるファンが多い理由はこの曲の存在も大きいのではないでしょうか?というレベルのクオリティの、一線を画したパワーをもった曲です。ギターとボーカルのユニゾンっていうんですかね、最後の部分は鳥肌ものです。余談ですがB'zで好きな曲は?と聞かれて『夢見が丘』と答えておけばにわか許さないマンもご満悦だと思いますヨ。

荘厳な雰囲気に合わせて歌詞もスケールの大きな話になっています。「人の心」と「自然」のコネクトが鍵になりそうです。その世界観ゆえネット上でも多くの方がすでに考察されてますね。それらと並んでも恥ずかしくないようにしっかり考えたいものです。

まずこの曲の大前提として、「雄大な自然からすれば、ヒト及びヒトにより生まれるものなど些細なものである」という考え方があります。大地からすれば、人が思い悩み乱れていくさまなどフラットにしか感じません。ヒトヨロコビカナシミはいずれも等しく映るのです。カタカナの表現効果ですね。

次に主人公についてです。彼には愛する人がいます。しかしその愛を示してしまうと世間では「略奪」になってしまう、そのジレンマに悩まされています。自分の気持ちに素直になると君を奪いたくなるし、会いたい 嗅ぎたい 抱きたいという本能的な思いは強くなりますが、彼のせんとする「不倫」は、読んで字の如く倫理の道にあらざる行為です。

改めて言い直すと、彼は「善」と「悪」に縛られて苦しんでいるのです。「不倫をしてはいけない」という社会のルールを守る理性より、一線を越えてでもを愛したいという本能が勝ってしまい、しかも「悪」扱いされる。先生は善を教えてくれても悪は教えてくれません。よくあろうとするにはどうしたらいいかだけです。自らが悪になろうとする時どうすればよいか、分からずに苦しんでいるのが主人公であるといえるでしょう。

更にもう一つ、本当に優しくなれるのは 色褪せた景色を見てる時とはどういう意味なのかですが、僕は「その時々の決断が良かったかどうかは振り返ることでしか分からない」ということではないかと思います。過ぎ去った過去のものとして自分の決断を思い返し、「ああすればよかったな」と内省するのが優しくなることだと解釈しました。そしてこれがどう現状に繋がるかというと、不倫の道を選ぶことが正解かどうかは、決断を迫られている現在は正しい間違ってるかは言えないということだと思います。

そんな彼を変えたのが『夢見が丘』です。大自然に触れることで、価値観に変化を及ぼすという曲は他に『赤い河』、稲葉ソロ『arizona』などもありますね。そしてそのいずれもそのスケールの大きさに人の生命を重ねてあります。では『夢見が丘』の上で彼は何を感じたのでしょうか。

まず、「自然の中では善悪は存在しない」ということです。そもそも善悪という概念自体人間が作り出した枠組みであるので、自然の中にいればその縛りに囚われる必要もない、ということですね。

そしてそれを踏まえ、「そんな自然から生まれ、自然に還る存在の私たちは、元々枠組みのないはずである」という考え方にまで発展します。生まれた時に誰でも自然のままに純粋であり、聖なる心の丘を抱えているはずが、出会い 別れ 土に埋もれるまでに人の定めたモラルに染まり、行動の欲求に理性という名の抑圧がかかるようになってしまう、それが人間なのです。しかし、同じく自然のサイクルという視点から見れば人の生命などほんのわずかの短さです。そんなわずかなはかない時をほんとうに愛する人と過ごしたいと願うのは、倫理に反していようと間違ってるとはいえましょうか?答えを出すのは堂々巡りです。

ここで主人公の方向性が固まりました。彼が選んだのは、倫理に縛られた世間に背を向け、本能のままに愛を求める道です。最後に夢を見続ける生き方について考えます。ここでのの対義語は、再三述べてきた善悪の渦巻く現実でしょう。見続けるということは、その世界からの完全な決別を意味しますね。迷いを断ち切ることで、二人の関係(=)はより鮮やかに形を帯びたものへと変わっていくのです。冒頭述べたユニゾン部分が心に響くのは、ふたりがここではじめて真に一緒になれたことを象徴しているからかもしれません。

この物語に共感できるかと聞かれれば頷く人は多くないかもしれませんが、主題そのものは万人に当てはまる問題だと思います。我々の行動は無意識にタブーを避けなければならないという固定観念の元に決められる部分が多いと思うのですね。単に『夢見が丘』の主人公のごとく世間から一線を置けという話ではないのです。しかし、善悪とは人が作り出した本来は存在しない概念であり、知らず我々の行動を支配していること、これを忘れないようにしなければならないということを僕達に伝えている曲とも取れるのではないのでしょうか。

久しぶりに長く書いた気がします。特にこの曲は歌詞の一つ一つが重要なパーツとなっているようで、拾えるだけ拾った感じですね。

次回は『HOMETOWN BOY'S MARCH』です。前からちょこちょこ話題に出してたら出ましたね!一転気軽に臨めそうですが、熱も入りそうです。
閲覧ありがとうございました。次回もよろしくお願いします。


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